From Farm to Roaster.
ミャンマーでコーヒー豆を作っています。新ブランドのスペシャルティコーヒー
KALAW COFFEE(カローコーヒー)の生産 / 輸入 / 販売 / 卸
About KALAW COFFEE
まだ世界が知らない、ミャンマー・カローのコーヒー。
ミャンマー東部、シャン高原の山あいに、まだ世界にほとんど知られていないコーヒー産地があります。
その名は、カロー。
標高1,300mを超える山々に囲まれたこの地域では、以前からコーヒー栽培が行われてきました。けれど、その存在はまだ広く知られておらず、国際市場へ届く量も多くありません。
私たちはカローに拠点を置き、自社農園での栽培から、地域農家のコーヒーチェリーの買い付け、精製、乾燥、品質管理まで、産地のすぐそばで直接取り組んでいます。
山で育った一粒のチェリーが、どのように精製され、香りや味わいへと変わっていくのか。その工程を見届けながら、流通量の少ないカロー産コーヒーを、安定した品質で日本へ届ける仕組みを築いてきました。
ベリーを思わせる瑞々しい果実感。はちみつのようなやさしい甘さ。そして、精製方法によって変わる個性。
まだ多くの人が知らない、この土地のコーヒーを、ぜひ実際のカップで確かめてみてください。
生豆は少量サンプルからお試しいただけます。まずはカロー産コーヒーの品質と個性に触れ、貴店・貴社の新たなラインナップとしてご検討いただければ幸いです。
生豆カテゴリ
特徴1
地域農家と共に、持続可能なコーヒー産地づくり
THITSAでは、自社農園での栽培に加え、カロー地域の農家からコーヒーチェリーを継続的に買い取っています。適正な価格での取引を大切にしながら、栽培・収穫・精製に関する知識や情報も共有し、コーヒーの品質向上に取り組んでいます。
こうした継続的な買い取りと農家への技術・知識の共有を通じて、山間地域でコーヒーを育てる農家の収入向上と安定、そして持続可能なコーヒー産地づくりにつなげていくことを目指しています。
特徴2
自然環境を活かしたコーヒー栽培
カローの山間部に広がる農園では、周囲の樹木や果樹を活かしながらコーヒーを育てています。自然の生態系や土地の環境に配慮し、森と共存するような持続可能な栽培を大切にしています。
特徴3
安全性と品質へのこだわり
コーヒー栽培では農薬を使用せず、日本国内の検査機関による残留農薬検査でも不検出を確認しています。自社農園では、日本の技術指導も取り入れながら有機肥料を使用し、安全性と品質の両立を目指しています。
特徴4
国際基準による品質評価
当社のコーヒーは、CQI(Coffee Quality Institute)認定QグレーダーおよびQプロセスプロフェッショナルによる国際基準に基づいたカッピング評価を受けています。ナチュラルは84.5点、ハニープロセスは81.5点を記録。
特徴5
産地から日本まで、一貫した品質管理
コーヒーチェリーの買い付け・選別・精製から、日本への輸入、販売までを自社で一貫して行っています。生産者や精製方法、ロットごとの情報を把握しながら、産地からお客様のもとへ届くまでのトレーサビリティと品質管理を大切にしています。
JOURNAL
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KALAW COFFEEをたどる100年。第3回|そして今、海を渡る「KALAW COFFEE」
この連載は、 「カローでは、いつ頃からコーヒーが育てられていたのだろう?」 という小さな疑問から始まりました。 調べていくと、南シャン高原では100年以上前からアラビカコーヒーが育てられていた記録があり、1930年代にはミャンマー産コーヒーがすでに海外へ渡っていたことも分かりました。 それでも長い間、 「KALAW COFFEE」 という産地名は、世界のコーヒー市場でほとんど知られてきませんでした。 そして今。 私たちは、そのカローでコーヒーを作っています。 コーヒーを作るために、カローへ来たわけではない 私が初めてカローを訪れたのは1998年でした。 その後、何度もミャンマーを訪れ、2013年にはこの国へ移住。 2016年、カローでCafe Kalawを始めました。 最初から農園をやろうと考えていたわけではありません。 カローで暮らし、コーヒーを焙煎し、毎日コーヒーと向き合ううちに、少しずつ考えるようになりました。 この土地で、自分たちのコーヒーを作れないだろうか。 そこから、農園づくりが始まりました。 山の斜面に苗木を植え、育てる。 枯れたら植え直す。 実がなるまで待つ。 コーヒーは、すぐに結果が出る作物ではありません。 だからこそ、毎年少しずつ変化していく農園を見るのは面白いものです。 自分たちの農園だけでは、「産地」にはならない 農園を始めてから、もう一つ大切だと感じるようになったことがあります。 それは、...
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KALAW COFFEEをたどる100年。 第2回|コーヒーは海を渡った。でも「KALAW」の名は?
前回、カローのコーヒーの歴史を調べる中で、1903〜1904年の英国統治時代の記録までたどり着きました。 そこには、カローと同じ南シャン高原にあるTaunggyiで、すでにアラビカコーヒーが育てられていたことが記されていました。 では、そのコーヒーはその後どうなったのでしょうか。 調べていくと、今度は「ミャンマーコーヒーと海外市場」という、もう一つの歴史が見えてきました。 1930年代には、すでに海を渡っていた 記録によると、1935〜36年にはミャンマー全体で268トンのコーヒーが生産され、そのうち175トンが海外へ出ています。 今から90年以上前。 すでにミャンマーのコーヒーは、国外へ運ばれていました。 けれど当時の記録からは、 どこの町で育てられたのか。どの村のコーヒーだったのか。誰が作ったのか。 そこまでは、なかなか分かりません。 そして、 「KALAW」 という名前も、そこには出てきません。 名前がなければ、産地は見えてこない 現在のスペシャルティコーヒーでは、国名だけでなく、地域、農園、生産者、品種、標高、精製方法まで細かく紹介されることがあります。 でも、昔からそうだったわけではありません。 「Burma Coffee」。 あるいは「Shan Coffee」。 そんな大きな括りで流通していたとすれば、その中にカロー周辺の豆が含まれていたとしても、「KALAW」という土地の名前は残りません。 もちろん、当時の輸出豆にKalaw産が含まれていたことを示す資料は、今のところ確認できていません。 ただ、一つ言えるのは、 コーヒーが存在することと、「産地」が知られることは同じではない。 ということです。 世界に知られるようになった、ミャンマーの産地 近年、ミャンマー産スペシャルティコーヒーが海外で知られるようになると、産地の名前も少しずつ表に出るようになりました。 その代表的な地域の一つがYwanganです。...
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KALAW COFFEEをたどる100年。第1回|カローのコーヒーは、いつから始まったのか?
私たちは、ミャンマー東部、シャン高原の山あいにある町、カロー(Kalaw)でコーヒーを作っています。 自社農園でコーヒーを育て、周辺の村からチェリーを買い付け、Cafe Kalaw Coffee Factoryで精製する。 そして出来上がった生豆を、「KALAW COFFEE」として日本へ届けています。 そんな仕事を続けるなかで、以前から気になっていたことがありました。 そもそも、カローではいつ頃からコーヒーが育てられていたのだろう。 カローの町。2026年 せいぜい、100年くらい前だろうか ミャンマーでコーヒーが栽培されるようになったのは、比較的新しい時代だと思っていました。 調べてみると、Myanmar Coffee Associationの資料には、1885年頃にミャンマー南部のMyeikやDaweiなどで宣教師によるコーヒー栽培が始まり、その後1930年にカトリック宣教師がアラビカ種をSouthern Shan State、つまり南シャン州へ導入したと記されています。 カローも南シャン州にあります。 ならばカロー周辺のコーヒーも、その頃から始まったのだろうか。 1930年から数えれば、まもなく100年。 それだけでも十分に長い歴史です。 ところが、もう少し古い資料を調べてみると、思いがけない記録に出会いました。 1903年、すでにシャン高原にアラビカがあった 英国統治時代の1903〜1904年。 当時のビルマ政府がまとめた行政報告書の中に、農業試験に関する記録が残っています。 そこには、政府がTaunggyiなど各地で試験農園を運営していたこと、そしてTaunggyiでArabian coffeeの種から育てた木が順調に生育していることが記されています。 Taunggyiは、現在も南シャン州の中心都市です。 そして、この記録は1903年。 一般に紹介されている「1930年の南シャンへのアラビカ導入」より、四半世紀以上も前です。...
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